両親の衣装 モーニングと 留め袖ドレス。

黒留め袖の歴史・

黒留め袖の元は振袖の袂を切った振袖のことを『留袖』といいます語源は江戸時代になります。

江戸時代 振袖の長い袖のことを(引き袖)といい、18歳になると袖を 短く切る習慣があり(袖を切る)の言い換えが留める。 現代の『留め袖』と言う名称になりました。色は様々でした。

明治、大正時代に西洋のブラックフォーマルの概念が取り入れられ黒地が正式なものになり、『黒留め袖』が第一礼装となり祝い事に着用される様になります。

(黒留め袖は既婚者)(色留め袖は未婚女性)(黒留め袖は第一礼装)などと 数々の決まり事は   沢山ありますが、全て着物販売のための戦略で昭和30年頃からの、経済成長期の着物業界のその戦略が成功しましたが、 現状は結婚式の母親の衣装として使用するのみの状態になっています。で

日本のフォ-マルドレスの歴史。

昭和20年頃までは婚礼衣装は黒地の引き袖がほとんどの様でした。                  昭和30年頃からの婚礼衣装は白無垢、色打掛、振袖と婚礼スタイルに変わってきました。    経済成長期に入り着物業界も洋服業界も急成長していきます。                  洋服業界の戦略として『ブラックフォーマル』があります、(紳士服は ネクタイを変えると冠婚葬祭どちらにも利用できる、婦人服も小物を変えるとどちらにも使える)を販売促進として        『フォーマルドレス、 スーツ』を百貨店で展開し戦略が成功し、和装から洋装への転換期になり、 その後は洋服がファッションを完全にリーダーシップを発揮することになります。

現在のフォ-マルドレス。

黒留め袖は昭和30年~40年の経済成長期頃に、第一礼装として誕生した衣装で歴史的に浅く、  黒地引き袖をリメイクして使用していたものが黒留め袖の始まりになります。         現在のブラックフォーマル。本来は入学式、卒業式、冠婚葬祭の礼服といいます。       男性の場合はネクタイで使い分け、女性の方は小物一つで使い分け出来る用途が広く便利な礼服ですが最近はフォーマルドレスとしての用途は少なくなりつつあります。

正礼装(モストフォーマル)格式の高い服装、アフタヌーンドレス イブニングドレス

準礼装(セミフォーマル)結婚式、披露宴、格種パーテイー

略礼装(インフォーマル)カジュアルタイプの羽織り物トータルのドレス等。

フォーマルドレスを選ぶ基準は以上の区分けになります。

結婚式母親の衣装は(黒留め袖でなければ)とゆうことは全くありません。

以前両親の衣装は黒留め袖と紋付袴が正礼装でしたが時代の変化で 現在は黒留め袖とモウニング、の和洋で統一できていませんが 母親の衣装が男性と比較して遅れているだけです。

黒留め袖とバランス取れる(同格の)ドレス。

和装の黒留め袖は格式の高い服装となっていますが、西洋の洋服ではアフタヌーンドレス イブニングドレスがバランスの取れた衣装になります。

黒留め袖は 日本人の体型を研究した、誰でも似合う様に作られた素晴らしい衣装です。

古き良き日本の美意識を継承し 伝統を現代へと繋ぐ黒留め袖ドレス。

モーニングとバランスの取れる 黒留め袖ドレス。 

燕尾服と バランスの取れる  留め袖ドレス。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モーニングとバランスの取れる。

黒留め袖の代わりに着る。  

両家の衣装バランスの取れる。   留め袖ドレス。     

 

 

 

 

 

 

 

      

 

和ごころ桂の 留め袖ドレス セミオーダー