着物には様々な種類があります。第一礼装留め袖ドレスはTPOの一つになります。

(世界の民族衣装) 世界の民族衣装を大きく分類しますと懸衣型、貫衣型 搾衣型の3種類に大分類されます。 懸衣型(身体に懸けたり巻いたりするだけで成り立つ形式) 貫衣型(ポンチョ形式1枚の布に穴をあけたり切り込みを入れたり被るようなものと肩から掛け前開きを紐状なもの(今ではベルト、襷、帯)に当たります。日本民族衣装は貫衣型分類の前あき型(見頃を開いたままか又合わせてきる形式になります、つまり着物は貫衣型の前開き型形式の分類に入ります。

礼装着 (第一礼装) 黒留め袖。  略礼装着 (準礼装着)色留袖 訪問着 振袖。

21世紀現在世界的に洋服が主流ですが普段、洋服を着用する人々の間で(祝い事)(行事)に民族衣装または民族服を着用します。日本も同様に日常生活は機能性重視の洋服、冠婚葬祭には着物を着用します。

着物は貫衣型の前開き型形式で身体に巻く絞める結ぶの衣装になり現代ではなかなか着る機会が少なく(着物)はすべて同じように感じている人が多いのではないでしょうか? 世界に誇る着物の素晴らしさを残し進化した生活者への対応を考えてもよいのでは。 結婚式母親の衣装 第一礼装留め袖ドレスもその一つです。

夏は二藍 いと暑きころ 夏虫の色したるもすずしげなり。   清少納言 (枕草子)

平安時代から400年のリアルな色彩の時代、季節が織りなす日本の色彩美(春を彩る色の名前)牡丹色、躑躅色、撫子色紅梅色、桜色、山吹色、藤色、等  (夏を感じる色)つゆ草色、水色、藍色、杜若色、等 (秋を彩る色)茜色、柿色、落ち栗色、朽葉色、枯れ色、等(、冬を彩る色、)深緑色、鉛色、漆黒色、鈍色、等世界に誇る日本の伝統色は時代を映す色として、飛鳥奈良時代にかけての色、平安から室町時代にかけての色、桃山。江戸時代の色、その時代を映す色彩はイマ(現代)でも100色以上普通に色の呼び名として使われています。

   梅雨時 暑い夏 雨風強し時  結婚式母親の衣装 留め袖ドレス。

民族衣装着物の今までの変化

江戸時代~明治時代、 外国貿易、鎖国から開国、戦争と衣類の国策で着物の急激な変化。

1871年に陸軍、官僚、教員、学生,は衣服の西洋化と明治天皇政令が出る。男性は大礼服、一般通常礼服が定められ男性は西洋文化の影響を受けて衣服も西洋化へと変化して行きました 。女性は一部を除きもっぱら着物で1892年女性の(衣服の改善)運動が起きても男性の様な変化に至りませんでした。

この様な衣服の男女の差は現在でも冠婚葬祭に見受けることが多々あります。(例)結婚式の親の衣装があります、男性はモーニング女性はフォーマルドレスの洋服でバランスが取れますが、今もってまだ男性はモーニング女性の黒留め袖と洋服と着物のアンバランスが多いような気がします。1892年頃の女性の社会進出そして衣服の改善は男性の洋服の様には行きませんでした、 昭和初期の女性の控えめの美徳 この様な形で残ってます。結婚式の母親の衣装として黒留め袖は正礼装、男性衣装は羽織袴が正礼装になります。日本の衣装は急激で100年で洋服に、西洋化されることになりました。

着物民族衣装の貫衣型羽織る巻く絞める結ぶ 、着方で昔から麻 、絹、綿、藤、毛、の糸で織っていました。自然の恵みからその力を引き出した天然繊維それに対し時代のニーズに合わせて常に変化しつつ’’ける化学繊維そもそも蚕の吐く生糸を目指して開発されたのが始まりで人造繊維です、言い換えれば無限といえる改質改良が可能ですから、用途に対応した新しい性能をもった繊維、機能性、利便性の洋服と共に研究開発が次から次へと行われ社会の新しく生まれる需要に対応してきました。それに対して着物の原型は現代(イマ)でも大きくは変わり無く、素材となる反物、幅38センチ長さ23センチの織物ほとんど昔から変わりなく素材も単一天然繊維で、反物表裏使用出来、染直し ,仕立て直し、再生しまた新しい着物として生まれ変わる。今世界で求められる エコロジーの最たる循環型経済システムになります。

素晴らしい黒留袖に 機能性 利便性を。  第一礼装 留袖ドレス。