黒留め袖リメイクはフォーマルドレスに!

価値ある黒留め袖は再生させたい。

価値ある黒留め袖はいつ頃のものなのか?

日本経済が飛躍的に成長を遂げた昭和29年~昭和50年頃になります。

経済成長期と同時に戦後の団魂の世代の結婚適齢期に重なり1億みな平等の波に乗った世代です。(昭和東京オリンピック開催の前後と重なります)この時代の経済成長期の25年間に生産された数多くの黒留め袖は有名な作家さんの高価な作品が多いと言われます。

この時代の結婚式は今とは違い必ず仲人を立てました。好景気の時代の仲人さんは 会社役員、上司、地元の名士の方々で仲人夫人は同じ物を着る事が出来ず、そのつど新しい黒留め袖を買い求めました、それと嫁入り道具には必ず黒留め袖を持たせた時代でもありました。

この時代の 黒留め袖はあらゆる面で商品価値が高いとされています。

黒留め袖の50年の歴史その時代背景

黒留め袖は戦後は結婚式の母親の衣装として定着しました。

昭和初期頃の花嫁衣装は派手な引き振袖でした、その後は黒引き袖に代わり上見頃は無地、袖は振袖で長く 着丈は裾綿の入った引きずりが一般的でした。

そして誂えた物を既婚者になると振袖を切って使用したようです、(他の男性と縁を切る)(そでを留めるとゆう意味)で引き振袖を短く切り、更生服すなわちリメイクをして既婚者の礼装として使用しました、既婚者の誂えるときは30代は大柄のの裾模様で50代60代は控えめな柄面積の少ない裾模様を敢えて選んだようです. それが黒留め袖の始まりになります。

戦後の黒留め袖は柄の特徴、柄の意味があり立場や年齢に相応しい柄の選び方があります。

30歳代大柄の綺麗な裾模様、40,50、60代の方は柄面積の少ない裾模様の面積の少ないものはそもまま受け継がれています

昭和の結婚式の価値観の大変換

昭和初期の立派な婚礼(オリンピック開催の前までの結婚式形態)

 結婚式=家での2日~3日地域によっては7日間と豪華絢爛な婚礼行事もありました。

昭和40年頃の幸せな結婚(オリンピック後の結婚式形態)

立派なホテル、立派な結婚式場での豪華な結婚式=幸せな結婚、幸せな花嫁となる。

オリンピックを境に結婚式の価値観も大きく変わりました。ほんの数十年の出来事です。

オリンピック開催のためのホテル建設ラッシュで有名なホテルが多く建築されました。

日本経済が飛躍的に成長と同時に戦後の第一次団魂の世代800万人の結婚適齢期に入りました。800万人を抱えた結婚産業の成長は著しく、1970年頃は絶頂を向かえました、その時の結婚式場の様子はトコロテン方式と言われるほどの盛況でした。

この時代に結婚式は 、結婚式場かホテルでの概念が定着して、 結婚産業、今のブライダル産業の価値観のすり替えの成功だと思います。

貸衣装 花嫁衣装 黒留め袖の普及

東京オリンピック以降は貸衣装が普及し花嫁衣装は現在の振袖になり、黒留め袖は既婚者の第一礼装と変わっていきます。

 経済成長期の着物和装業界の戦略で様々な決まり事が生まれました。

経済成長期時代は 着物に限らず衣食住 全てが実用一辺倒から 楽しむ衣食住へと世界と足並みをそろえられるくらいに成長した時代です。

着物から洋服へ急激に変化した時代でもあります。昭和の洋裁ブーム、で50代のミッチールック、60年代のミニスカート、70年代のニュートラ ハマトラと洋服が根付ていきます。

その時代の着物から洋服への洋裁ブームは 森英恵の直線から立体への革命でした。

こだわりの現代衣生活の流れ。

昭和オリンピック開催から50年絶ち 新しいかたちの結婚式スタイルの変化の時代に入ってきました。同時に花嫁衣装、母親衣装も結婚式スタイルの変化共に代わってきています。

衣装の流れも現代衣生活の流れも同じように、自分なりの拘りを持つことで、楽しむ、心地よく、豊かさを持つ、はっきりした理想を持っている、現代社会の衣生活は こだわりです。

リメイクの満足度。

自分なりの拘りを持つことで、新郎新婦の母親としてまた披露宴の第二の主役として、より楽しむ事が出来る衣装、黒留め袖ドレスもその一着になります。

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